近年の離婚率は、よく言われる「結婚した3人に1人は離婚している。」と言われていた00年代からある程度は減少し、2020年には2.5人に1人が離婚している状態にまでなりました。
依頼者A子
でもいまだに離婚率は高いんですね
そうですね。実を言うと探偵のメインである浮気調査の依頼者も、意外なことにここ10年で男性の依頼者が増えている傾向にあります。
探偵ガル男
依頼者A子
へー、男性に浮気されてる女性の依頼者が多いと思ってました。意外ですね。
経済的に自立した女性も増えてきた近年では当たり前のことなのかもしれません。女性が主軸の不倫系ドラマが増えたことも世相を物語っている様ですね。
探偵ガル男
さて、今回は歴史上に実在した、そんな’性に奔放’な女性たちを紹介していきます。
中世イタリア、フォルリの女領主として活躍した女性です。
中世イタリアのミラノ公の子供として生まれたカテリーナは時のローマ教皇の甥っ子であるジローラモ・リアーリオと、なんと彼女が11歳の時に結婚します。
二人の子供をもうけますが、夫ジローラモが自身の領地フォルリでの反乱により暗殺されたことで、フォルリの領主として政治を行うこととなります。
その後10歳以上年下の男性ジャコモと再婚しますが、ジャコモとの結婚生活は長続きせず、ジャコモも暗殺されこの世を去り、カテリーナはまた別の年下男性と再婚します。
他にも男性との性の噂は絶えず出てくるほどの豪快ぶりだったと言い伝えられています。
豪快エピソードの一つに、フォルリでの反乱の際に、反乱軍に城の外で子供達と共に捕らえられたカテリーナは、城にこもった味方の兵を説得してくると言い城へと入って行くとしばらく戻ってきませんでした。業を煮やした反乱兵はカテリーナに
「出てこないと子供たちを殺す」
と脅すも、カテリーナは城の城壁の上でスカートをたくし上げ性器を見せつけ
「子供なんてここからいくらでも出てくる!!」
と言い放ったというエピソードがあります。
イタリアではその女傑っぷりで有名な人物です。
平安時代中期に歌人として活躍した女性です。百人一首の札にもなっている程の和歌の名人でした。
彼女は平安貴族としてとして生まれ、当然、平安貴族らしく和歌の世界へと入って行くのですが、彼女の和歌の特徴は恋愛の歌が多いという点です。
和歌に恋の歌が多いのは当たり前ですが、なんといっても彼女の和歌は彼女自身の恋愛経験に基づいたものであることが多く、女版光源氏のように沢山の平安貴族の男性と浮名を流したと言います。
最初の夫である橘道貞との間に娘をもうけましたが、夫婦仲が冷め切り離婚をすると、その後皇族である為尊親王と恋仲になりました。
しかし、身分が違いすぎた為、親に勘当されてしまいます。
為尊親王の死後も、為尊親王の兄弟である敦道親王やその他貴族たちの寵愛を受けましたが、娘の死がきっかけで出家をし尼僧として残りの生涯を終えたと言います。
1762年から1796年の34年間、当時のロシア帝国の皇帝(女帝)を務めた女性です。
裕福な軍人の家庭に生まれ、皇帝ピョートル3世と結婚するも直ぐに夫婦仲は冷め夫婦そろって不倫を繰り返すことになります。
エカチェリーナには6人の子供がいますが、本夫のピョートルが実の父親である子供は一人もおらず、6人の子供の実夫はほとんど全員違う男性達という驚きの性事情です。
その他にも毎晩違う男性と寝床を共にしていたという噂もあり、自身の孫であるニコライ1世には「玉座の上の娼婦」とまで言われる始末でした。
しかしながら、妊娠出産直後にもかかわらず政治下手の夫ピョートルをクーデターで倒し政権を奪取すると、その剛腕で女帝としてロシアを治めたのです。
強い女性は沢山いますがここまでの英傑っぷりは男性であってもなかなかいませんので、強い女性像の理想の一つと言っても過言ではないでしょう。
いかがでしたでしょうか?
現代では浮気や不倫は許される行為ではありませんが、過去には男性を凌ぐほど豪快な女性がいたのも事実です。
交際相手やパートナーが’豪快’すぎるとお悩みのかたは是非一度ガルへご相談ください。