昔の日本では浮気は常識!?

現代では浮気や不倫は許されない行為ですが、明治維新で西洋のキリスト教文化が入って来るまでは日本人は男女ともに案外、性に奔放だったようです。

今回は日本にかつて存在した浮気や性にまつわる風習を紹介します。

夜這い
夜中に性交を目的に他人の寝ている場所をこっそりと訪れる行為を言います。
日本で全国で見られた風習で、明治時代から衰退し出し戦前までは農村に存在しました。
古くは759年に書かれた万葉集にも「他国に よばひに行きて 大刀が緒も いまだ解かねば さ夜そ明けにける」
とあるように古くから日本には夜這いの習慣が存在し、最も盛んに夜這いが行われたのは南北朝時代から鎌倉時代とされ、特に農村部では夜這いに関するルールまで取り決めれるほど一般的な風習として存在しました。
既婚者親戚同士なども関係なく夜這いを行ったということで、浮気のレベルが現代とは比べものになりませんね。
明治時代以降、西洋文化を積極的に取り入れた影響でキリスト教的価値観も取り入れられ、夜這いは次第に「品のない行為」として認識され、現代では言葉としてのみその存在は残っています。
一夫多妻(妾)
江戸時代には、金のある商家や権力を持つ武家の人間が本妻とは別に抱えるいわゆる’愛人’の形態の一つです。
妾の特殊なところは本妻が妾の存在を公認していたという点です。
現代とは価値観が違いますので一概に褒められたものではありませんが、男性が妾を持つことは自身の経済力と甲斐性と器の大きさを示す役割もありました。
そういった点もあり、本妻から公認を得ていたと考えられます。
「妾を囲って、男児の甲斐性」ということですね。
揚屋
揚屋を簡単に説明すると、揚屋に芸子や遊女を呼び遊ぶ場所です。
江戸時代、吉原を代表に日本各所にある幕府の公認遊郭が出現したことにより誕生した場所であり、
芸子や遊女のいる場所へ公に行けない職業の人や社会的地位のある人が利用することが多く、派遣される芸子や遊女もハイランクの花魁が限定であるのが当たり前でした。
創作物で見かける花魁道中は、花魁や太夫と呼ばれるレベルの高い遊女がこの揚屋に向かう途中に行われるものであり娯楽の少ない江戸時代の人々にとっては良いエンターテイメントだったようです。
もちろん遊女は性的な行為も含めて派遣されるので、揚屋遊びは贅沢な浮気とも言えるでしょう。
陰間
LGBTQやジェンダー問題などでも頻繁に取り上げられる同性愛ですが、今と昔では同性愛に対する価値観が違い、今も同性愛を取り扱った創作物は多々ありますが江戸時代も負けず劣らず同性愛を扱った歌舞伎の演目や読み物等が多数存在しました。
特に男色と呼ばれる男同士の恋愛が盛んにあり、なんと江戸時代には男娼(男性が自身の性を売る)を扱うお店まで出現しました。
この男娼を陰間と呼んだそうです。
陰間の名前の由来は歌舞伎や演劇芝居から発祥しており、歌舞伎において、年齢が若くまだ修行中の男の役者のことを「陰の間」と呼びました。歌舞伎は芝居以外にもいわゆる売春を兼業していた経緯があり、この陰の間と呼ばれる若い男性役者は売春の面で人気で、次第に陰の間は男娼を専門として独立した職業となっていきました。
陰間茶屋という男娼を集めた店は江戸中に数十件存在し、陰間は男性女性関係なく相手をしていたようです。
妻子があれど陰間通いをする男性も多くいたそうで、江戸時代の人間はなかなか進んだ性の価値観を持っていたのでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか?昔と今では人々の価値観が違いすぎて驚きですね。
近年は江戸時代の様に性にオープンな世の中になってきてはいますが、浮気をされた側は何時代であろうと良い気持ちにはなりませんね。
それではまた!!

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