【あの事件は今!Vol.4】池田小と宅間守
2001年6月8日10時20分ごろ、大阪教育大学附属池田小学校に包丁を持った宅間守が侵入。同校の児童を無差別に襲撃した。結果、児童8名(1年生1名、2年生7名)が刺殺され、児童13名・教諭2名が傷害を負った。宅間は校長や教諭にその場で取り押さえられ、現行犯逮捕された。最後の一人を刺し終えた瞬間、凶器である出刃包丁を自ら落として、「あーしんど!」と呟いたという。
宅間は幼いころから「高学歴・高収入のエリート」に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた点も今事件に大きくかかわっていたとされる。学生時代から関心を寄せていた自衛隊に入隊するが1年強で未成年淫行が発覚し除隊処分を受けている。その後は仕事を転々とし、今事件の当時は無職であった。
逮捕直後も「薬を大量に飲んだ、しんどい」と医師による診察を受けたが、逮捕後に宅間の血液や尿を採取して仮鑑定した結果、精神安定剤の成分が検出されなかった。捜査員がこの事実を宅間へ突きつけると、「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と偽証していたことを認めた。
また情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害は認められるが、統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はないされている。ここまででも察しが付くように宅間守は異常性がありながらも至って冷静に今事件を起こしたのである。
初公判の際は反省の弁を述べていた宅間であったが、2003年8月28日、大阪地方裁判所が被告人の宅間守に対して死刑判決を言い渡した際には宅間は遺族をなじるような言葉「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に、生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。
あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!!
でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」や「人間なんて一瞬で死ぬんやで!ワシの人生の幕引きの道連れに、ガキが死んだだけや!」など大声で叫び、それに対して怒声が飛び交う前代未聞の裁判であった。
近隣住民は「事件の事は心に深く刻んでおく必要があります。あの当時はマスコミも押しかけていてとても落ち着く暇はありませんでした。」
「犯人の望み通り死刑にしてしまって良かったのか、議論の余地はありますが、私が出来るのはただ静かに黙祷することです。」
宅間守元死刑囚は2004年9月14日午前8時16分に死刑執行。この時、宅間は死刑廃止運動家の女性と獄中結婚しており、比較的その女性と担当の刑務官には心を開いていた様子であった。死刑執行の当日煙草とりんごジュースをゆっくりと味わった後、「妻に『ありがとう』と伝えてくれ」と言い残し、死刑台の露となった。
宅間自身に罪の意識があったことは後の供述でわかっているが、最後まで遺族や関係者への謝罪の弁は口にすることは無かった。
2020年6月8日、事件から19年となった池田小で追悼式が行われた。去年に比べコロナの影響もあってか、規模縮小もあれど例年通り開かれる事となった。献花に訪れた人は19年という月日の流れを痛感していた「悲しみはずっと変わらない。事件が風化し、忘れられることが無いよう、祈りながら献花した。」と話した。
追悼式典の様子