1991年に発生し、2001年に時効を迎えた「悪魔の詩訳者殺人事件」ですが、
本事件は日本国内の未解決事件の1つとなります。
今回はそんな事件の紹介をします。
事件の概要
本事件は、筑波大学の助教授である男性Aが、
1991年7月12日に同大学内において遺体で発見された事件です。
男性Aは、「悪魔の詩」という小説を日本語版に翻訳した本人となります。
犯行時刻は7月11日の深夜から12日の午前2時ごろまでと見られています。
遺体は首を左右から深く切りつけられおり、その他にも腹部や胸部にも刺し傷があった状態でした。
現場からは容疑者の物と思われる血液や中国製の靴の跡が残されており、非常階段を使って逃走したことまでは発覚しているものの、その後の消息は分かっていない状態です。
なぜこのような事件が起きたのか?
発端は、
「悪魔の詩」という小説がイスラム教で重要なコーランの教え・考え方を冒涜したとみなされた事でした。
英作家であるサルマン・ラシュディ氏が1988年に発表した「悪魔の詩」では、
2人の主人公が登場し、主人公たちが乗り合わせた飛行機が墜落するシーンが出てきます。
2人が空中を落下していく中で繰り広げる妄想の中で、コーランの教えを侮辱したとされるシーンがあります。
イスラム教は一神教とされているにも関わらず、それを否定し、多神教であるかのような表現が出てくるというものです。
これに対して当時のイランの最高指導者であるホメイニ師が、著者であるサルマン氏へ死刑宣告を出すという事件に発展していきます。
イギリス政府はサルマン氏を完全保護下に置くとされ、イランとの国交を断絶するまでに至り、あらゆる国々でも騒動が波及していきます。
この「悪魔の詩」が発表された事で、出版に関わった人々が40人以上殺害されています。
日本で起きた「悪魔の詩訳者殺事件」も首を切りつけられる方法で、
この殺害方法はイスラム式の殺人と言われており、宗教的な観点から殺害をされたと見られています。
本事件での犯人と思しき人物は見当を付けられていますが証拠や目撃情報が無いため現時点では未解決事件となっております。